スタッフ

代表取締役3代目社長 いのうえ はるお

代表取締役3代目社長 いのうえ はるお
生まれ3月31日 A型
趣味社交ダンス 詩吟 古美術や音楽鑑賞
ひとこと

カメヤ時計店3代目社長。5人兄弟の4番目で、好物は天ぷらとカレー。カレーのじゃがいもは小さくとろけているのがモットー。豆類やイモ類はあまり好きではありません。
学生時代に陸上をやっていたので今でもお客様に「早かったよね~」と言われますが今は全く走ることはできません。普段の仕事だけでは運動不足になるので、毎朝仕事前にベランダで15~20分体操をしています。
「はるお」という名前ですが実は「雨おとこ」です。

いのうえ みつこ

いのうえ みつこ
生まれ1月13日 AB型
趣味洗濯 買い物 川柳
ひとこと

はるおと結婚して御所に嫁いできました。
みんなに、スーパーへ行くとあれもこれもとついついたくさん買ってくると言われて注意をされます。1つの物を買いに行って、袋いっぱいにお買い得品を買ってしまいます。
また、あらいぐまのように洗濯が大好きで2~3枚のタオルでも洗濯機を動かすという習性があります。夏はよく乾くので大喜びです。
人とおしゃべりすること、いろんなところへお出かけすることが大好きで好奇心旺盛な母です。お料理も大好きで特に「巻き寿司」と「チラシ寿司」は絶品です!と家族がいってくれます。

いのうえ ともや

いのうえ ともや
生まれ5月20日 O型
趣味雑誌を読むこと 映画鑑賞 バイク
ひとこと

まきこと結婚して大阪から御所へ婿に来ました。カメヤでただ一人のO型です。体は大きいのですがとても小さな字を書きます。
地域の方々と仲良くしてもらい、早いもので御所に住んでもう20年以上がたちました。
車やバイクが大好きで、将来時間ができたらバイクにまた乗りたいと思っています。
健康面では血圧が高くて、いつも健康診断で注意されます。

いのうえ まきこ

いのうえ まきこ
生まれ7月20日 AB型
趣味お菓子やパンを焼くこと 字を書くこと 音楽鑑賞
ひとこと

カメヤ時計店の長女として生まれました。妹の恵美子と2人姉妹です。生まれも育ちも御所です。
ともやさんと結婚してカメヤ時計店を継ぎました。
お菓子やパンを作ったり、食べたりすることが大好きです。でも最近はお年頃になり、やせにくい体質に変ってきました。なので週に何度か運動をするように気を付けています。

はたの えみこ

はたの えみこ
生まれ3月19日 B型
趣味音楽鑑賞 アイドル「嵐」のファンです
ひとこと

近所に嫁いで10数年。毎日実家に仕事に来ています。宝石の専門学校を卒業後、ジュエリー工房で働いていました。大学の時は染色を学んでいました。〇年前の独身の頃は、着物を着て歌舞伎鑑賞に行くのが楽しみでした。美しいもの、宝石はもちろん、アンティークの着物などが大好きでネットで検索しては見るだけで終わっています。

カメヤの歴史

明治41年

「亀屋」という和菓子屋さんでした。
昔は今よりももっと人通りが多く、JR御所駅に汽車が到着すると降りてこられた方が良く買ってくれたそうです。
その当時のカメヤが出した「一円券カメヤ 薄皮まんじゅう本舗割引券」が残っていたので紹介します。

明治の記録
大正5年

「亀屋時計・電気・ラジオ・レコード」を始めました。
これが今日のカメヤ時計店の創業年となっています。

大正5年の記録
大正11年

初めての広告発行。
時計店として初代 井上元次郎はアイデアマンでとっても面白い方法でお客様にアピールしていました。

大正13年

6月のカメヤの新聞広告を紹介します。
カメヤ時計店創業者の元次郎が大正13年6月10日
「時の記念日」に新聞に公告を掲載した時の記事が残っていたので紹介します。
「正午ちょうどに花火を打ち上げます。その正確な時間に合わせて時計の時間を確認してください。合っていない場合は調整します」という内容の広告です。あれから時代も変わり、技術も進歩した今では電波時計という素晴らしい性能を持った時計があります。花火を聞いて時間を合わせるなんて、昔はのどかだったんですね。

大正13年の記録大正13年の記録
昭和9年

時計・宝石・メガネを販売するようになった井上元一(現社長の父)は時計店の2代目として「時計1級技能士」を持った職人でした。とても物静かな人で当時まだ貴重品だった時計の修理をみんなが寝静まって、振動が少なくなった夜中によくしていました。

今でも「店の隅に座って仕事してはったなぁ」と 覚えてくださっている方がいらっしゃいます戦争中、厳しかった時代カメヤ時計店を守り、現代まで残してくれた一番大変な時代を生きた人だと思っています。

平成4年

カメヤ時計店は、ともやとまきこで4代目となります。
なぜ私が店を継ごうと決心したかを書いてみます。

「安心してメガネをお作り頂くために」眼鏡士は存在します。メガネは測定・作成・フィッティングなどお客様と直接対面販売することで初めて技術を伴い販売するものです。お客様が見たいもの、こんな時に使うのか、どんな時困っているのかなどを聞きながら機械を使って視力測定を行い、対面調整測定をしながら度数を決めていきます。ここが当店の特徴です。機械の度数をそのまま使うのではなく、お客様と話をしながら度数を決めていきます。同じ視力の人でもメガネのレンズ度数が同じとは限りません。目の状態はもちろん、その方の体調やクセ、生活環境、使用目的に応じて微妙な度数を打ち出していきます。

「眼鏡作製技能士(認定眼鏡士)」を修得するには日本全国に9校しかない専門学校を卒業または独自で学習し、試験に合格しなければなりません。私たちは専門学校を卒業後、合格して眼鏡作製技能士を修得しました。

眼鏡作製技能士は、全国に7549名、奈良県に62名、そのうち3名が当店に在店します。 こうしてもともと眼鏡士だった父と合わせて当店に3名の眼鏡士がいるようになったのです。カメヤは専門の知識と技術で当店の取扱いレンズ100種類以上の中からたった1枚あなたにピッタリのレンズを選びます。

私は、2人姉妹です。この店に生まれて後を継ぐことを小さいころから言われて育ちました。 大きくなるにつれて、こんな勉強をしたい、あんな仕事をしたい、こんなところは嫌だといつも思っていました。みんなからは「就職先が決まっていていいな」と言われましたが、先が決まっている程つまらないものはないと思っていました。

ところが大学生の時、体調を壊したことがありました。その時、家族は私のために病院に毎日通ってくれて、好きな食べ物、着替えなどを持ってきてくれました。たぶん神様や仏様にも祈ってくれたでしょう。その時にこんなにも私のために家族は一生懸命してくれる、そしてこの店があったからこそ育ててもらったということを実感したのです。それから元気になった私は後を継ぐためにメガネの専門学校へ入学する決意をしました。

慣れない光学系の勉強をし、いろんな病院へ実習にもいきました。そんな学校で主人と出会いました。主人も同じメガネ学校の出身です。実家もメガネ屋さんで眼鏡士の勉強に来ていました。そして2人姉妹だった私のところへ来てくれたのです。結婚が決まった時みんなから「よくもまあ、そんな人見つけたなぁ」と感心されたものです。主人の実家はもうすでにお兄さんが継いで下さっていたのでご安心を。

商売の難しさにも直面しました。私たちで4代目となります。不景気のせいもありますが、 あちこちに新しい店ができ、インターネットが普及したこの頃は日本全国、世界中で家に居ながら買い物をしたりすることができます。お客様の層も変わってきました。江戸時代から続いているお店、会社を見ると「すごいなあ」と強く感じます。何代も続いている中には、大きく店を発展させた人、自分の意に反して仕事を継いだ人、大変な時代を耐え続けて次の世代に続けた人など、いろいろな人がいただろうと心から感心します。しかし私はいつの時代も、「カメヤでメガネを作ってよかった」、「あのネックレスをカメヤで買ってよかった」、と言っていただけるようにいつも心がけて仕事をしています。 創業大正5年、カメヤ4代目としてこれからも商売を続けていきます。